愛知・岐阜・三重の男性専門結婚相談所ブライダルサロンZERO「ZEROのスタッフを知ってほしい!~ 及川P物語(幼少期編) ~」ページ

BLOGイベント情報・お客様の声

2019.03.06 その他

ZEROのスタッフを知ってほしい!~ 及川P物語(幼少期編) ~

はじめまして!
ブライダルサロンZERO プロデューサーの及川です。

 

こちらの記事では、
スタッフ紹介では書ききれなかった想い、自分が歩んできた人生のあれこれを掘り下げていきます。

・転校に転校を繰り返した幼少期
・男子校あるあるで困った大学生
・「ありがとう」がほしくて自分の殻を破ることを決意

少し長くなるので、気になるところだけ読んで頂いても構いません。

それではどうぞ、お付き合いください。

 

ーーーーーー はじめに ーーーーー

「人付き合い」

 

あなたは悩んだことありませんか?

 

私はあります。

 

というより、起きている間ずーっと考えていると言ってもいいくらい。

脳内のメモリを占める割合は瞬間瞬間で大きく変わりますが、
本当に常に考えていて自分でも「アブないやつだな~」と思います(笑)

 

複雑な人間関係。
家族、恋人、ご近所、友人、会社の同僚、学校のクラスメイト、趣味の集まり…

これから関係を作る初対面の相手ならば、なおさら意識してしまいますよね。

 

「どうしても他人と関わらなければ生きていけない人生。」

 

そのことを悟った若かりし日の及川は人付き合いについて、こう考えるようになっていきます。

ならばせめて、波風を立てないように…。

できることならば、友好的な関係に…。

欲をいえば、好意を抱いてもらいたい。

いや、

自分に関わる人間はみんなハッピーになってほしい!!

そう思うようになってからは、以前よりも人に優しくなれたと思っています。

そう

及川は優しさに定評があります(自分で言っちゃうから嘘っぽい)。

 

面談では、得意のアメなトークで盛り上げつつ、ある程度の関係性が出来上がると、
キレ味鋭い言葉をサラッと発します。
時に口が悪くなることもあるけれど、それは相手のことを思った強めのムチ

適度に振るいます。

 

人付き合いに悩んでいるそこのアナタ!!

 

ズバッと言うわよ。

 

覚悟しなさい!

 

他人との関わり方が複雑で多様化する現代で、「人と生きる」と人生の軸を決めた及川。

 

今までどんな人生を歩み、どんな人生をこれから歩んでいきたいのか…
そこをこれから掘り下げていきます!

 

ーーーーー 及川 瞭 誕生! ーーーーー

1991年1月12日の午後、約2800グラムでこの世に生を受ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

分娩室の滞在時間は約30分。
かなりの好タイムで産道を駆け抜け、母上の痛みを最小限に留めるという優しさをこの頃から発揮。

 

及川家の家族構成は、父/母/兄/姉の5人家族、3人兄姉(きょうだい)の末っ子。


出身は宮城県仙台市と公表していますが、現在の住所があるだけ。
正直なところ、本人もどこが出身地か定かではありません。(そこについては後ほど)

名前は。[りょう]とつけることは決まっていたようで、
兄の名前が[瞬]、弟のりょうにも[目]をつけようという流れになり、明瞭の[]に。
文字の意味は「明らか」だそう。

※訓読みで「あき(らか)」と読むことをこの記事の執筆中に知りました(笑)

 

このような由来がある名前ですが、似た文字で[暸]という漢字があります。

左側がではなく、で構成されています。

 

 瞭

 暸

 

「目」の違いにはだいたい気づかれません。

 

父親とのやり取りでもこの通りです。

 

 

 

紛らわしい漢字です。

父も迷ったのでしょう。

別の日はこんな風に。

 

 

 

 

こうなります。

 

老眼が進んでいてハ●キルーペを買っていましたからね。
広い心で受けとめましょう。

ちなみに母親はこう。

 

 

 

 

「母は偉大」という言葉を聞いたことがあります。

 

この記事を執筆中、中学時代の友人から結婚式の招待状が届きました。

 

 

 

 

 

まぁこんなもんです。
しかし注意することはせず受けとめます。私は優しいですから!

自分の名前を大変気に入っています。

みなさん、これからも

 

「オイカワ リョウ」

 

をよろしくお願い致します!

 

――――― 幼稚園~小学1年生(岩手期) ―――――

幼稚園は岩手県水沢市(現在は奥州市水沢区)にある「こじか幼稚園」。

 

兄も姉も通った及川家では「おなじみ」の幼稚園です。
広い園庭でよく走り回り、近くのプールでは「水に入ると溺れる」という知恵を授かりました。

 

 

 

 

 

 

 

幼少期の及川はというと、すでにこの頃からじっとしていることができない性格。
近所のスーパーやショッピングモールで迷子のお知らせがあると、
だいたい私の名前を店内に宣伝してもらっていました。

選挙に立候補したら当選していたかもしれません。

言葉が過ぎました。この選挙区最大のライバルは自由党(元 民主党)小沢 一郎 代表。
僅差で幼少期 及川は落選していたことでしょう。

 

小学校は同じく、岩手県水沢市((現在は奥州市水沢区)にある常盤小学校。

住んでいた集合住宅から1.5キロの道のりがとても大変に感じました。
あまりにも小柄だったので「黒いランドセルが歩いてる!」といじられたのはいい思い出。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、母親のパート先(冷凍焼き鳥の製造会社)が通学路沿いにあったため、
学校帰りに事務所で所長さんやパートさんたちから焼き鳥をよく食べさせてもらっていました。

焼き鳥が今でも好きなのはこのためだと信じています。

 

幼少期は色んなことに興味を持つ子どもで、特に興味を持ったのが漢字でした。

幼稚園教諭と保育士の資格を持つ母親に「あれは何て読むの?」「これは何て読むの?」と
看板やチラシを見ては質問していました。

そのおかげで漢字の能力だけは花開いたと思っています。ちゃんと答えてくれていた母親に感謝です。
ありがとう。

ちなみに7歳の時、岩手県から頭がいい子供として表彰状をもらったことがあります。
この時期の学力が人生のピークだったかもしれません。

 

――――― 小学2年生~4年生(第一次 宮城期) ―――――

父親の仕事の都合で宮城県利府町へ引っ越し。

小学2年生からは「しらかし台小学校」へ転校。

 

この転校は大きな変化がありました。

 

・3歳から続けていた公文式をやめた
・近所の1歳年上のお兄ちゃんの誘いでサッカーを始める(この後20歳まで続けるとは…)
・初めてペットを飼う。
友達作りってどうしたらいい⁉

 

近所のお兄ちゃんに誘ってもらい、サッカーを始めたのは人生のターニングポイントです。
ここでサッカーを始めていなかったら、フットサルとは出会っていなかったでしょう!

当ブライダルサロンZEROの代表プロデューサー 永谷ともフットサルが縁で知り合いました。
自分の人生において、ここが大事な時期であったことは間違いありません。

 

そして転校生にはつきもの「友達ゼロ問題」

 

転校生には、

・すでに出来上がっているコミュニティに溶け込むこと
・集団から弾かれないように振る舞う

という大きな課題が課せられます。

初めて教室に入った瞬間、クラス中から受ける「知らない人を見る目」は非常に刺さるのもがあります。

なかなか初めからうまく溶け込むことができたとは言えませんが、
サッカーチームの仲間から友達が増えていきました。本当にサッカーを始めてよかった!

この頃から自然と「周囲の人間を見て状況を考える」ようになりました。

同じ時期に同じクラスに転校してきた女の子はクラスになじめず、
不登校になり転校してしまいました。

今でこそ、「自分がその子になにかしてあげられたかな」と考えられますが、
当時はそんな余裕は一切なく、周りに溶け込むことに必死でした。

周囲に慣れ始めて2年が経ち、こうなります。

 

――――― 小学4年生~6年生夏(三重期) ―――――

再び父親の仕事の都合で、三重県東員町へ引っ越し。
小学4年生からは「城山小学校」へ転校。

この時、サッカーが友達作りに大活躍しました。
休み時間にいろんな学年の人たちとサッカーを通じて知り合いを増やすことができました。

クラブチームに入団し、「あれは小学生には過酷すぎる…」と思ってしまうフィジカルトレーニングの連続。
しかし、あの練習のおかげでスタミナとメンタルがかなり鍛えられたことは間違いありません
一日中試合をやった後に隣町の試合会場から走って帰ったり…手を使わずにゴールからシュートを防いだり…

この時のコーチと今でもごはんに行くくらい素晴らしい出会いもありました!

 

 

 

 

 

 

 

 

2002年の「学校教育法施行規則」の改定以前は、公立小中学校では隔週の土曜日に3校時まで授業がありました。三重県に住んでいた私の土曜日は、1~3校時まで授業を受けて、お昼に帰宅して吉本新喜劇を見て、サッカーの練習に行くというスケジュールでした。

土日の練習を頑張りすぎて、月曜日は体が動かず、欠席することも…。

頑張った月曜日は4校時くらいから登校して給食を食べて、午後に2つ授業に出席して、放課後に日が暮れるまでサッカーをする生活。

まだ学校週5日制だった時代に3日も休むなんて時代の最先端ですね。

友人関係はというと、宮城少しずつ身に付け始めた「周りを見るクセ」のおかげで、
あっという間に周囲に溶け込めました。

宮城から三重への移動で一番苦労したのが「方言」です。

東北ではズーズー弁や仙台弁をよく耳にしていましたが、私自身は標準語でした。
ところが三重の人たちは関西弁のようで関西弁とは違う、「三重弁」を使っており、
東北人からすると、怒っていなくても怒っているように感じて少し委縮していました。

及川少年は周囲に溶け込むために、無意識に方言を練習して使っていました。
話したい言葉は一度、自分の中で話してみて、イントネーション、語尾、アクセントなどを
シミュレーションしてから口に出していました。

外国語を話すときと同じ要領ですね!

 

日本語しか話せませんが。

 

ちなみにこの三重弁は地域ごと4つに分けることができるそう。

・伊勢弁
・伊賀弁
・志摩弁
・紀州弁

もちろん私は、

今も昔も違いがわかりません!(笑)

 

――――― 小学6年生夏~小学校卒業(第二次 宮城期) ―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「別れは突然」

 

そんな言葉が似合う人生を送っていた及川少年。ご存知、引っ越しです。

次の行き先は、小学2~3年生を過ごした土地、宮城県利府町です。

転校先の小学校も以前と同じ「しらかし台小学校」。
あとから知りましたが、この小学校はフィギュアスケーターの荒川静香さんの母校でもあるそうです。

 

元の学校に戻るんだから、今回は友達問題なんてないでしょ?

 

と思われた方。

 

あなたは間違っている!

 

及川少年の頭は日々いろんなことを考えていて、この頃から、友達付き合いを上手くやっていくためには?
なんてことをぼんやりと考え始めていました。

 

この頃の頭の中は、サッカーと友達と宿題したくない!で頭がいっぱいでした。
こんな頭なので、正直なところ、2年も前の人たちの顔と名前をあまり憶えていませんでした。

記憶のあったのは、同じサッカーチームだった友達や一緒に遊んでいた友達くらいなもんです。
(失礼で申し訳ない)

 

今でも鮮明に覚えています。このときの転校で

 

「友達って必要なのかな?またどうせ引っ越すんでしょ?」

 

と考え込み、
「今回は友達作りを控えめにしよう。そんなにがんばらず、狭い交友関係でいよう」
と考えていました。

 

幼いながらにそんなことを考えていた及川少年のからをぶち破って、友達の輪にグイっと引き込んでくれたのが、小学2年生で始めたサッカーチームで唯一、同じ小学校、同い年だったYくん。

 

友達っていいな!と素直に感動しました。

 

しかし、忘れもしません。転校初日。
校長室で校長先生から挨拶され、全校集会に向かう廊下で担任の先生と会話し、気になる一言が。

 

先生「及川くんは前にこっちにいた時はどの子と遊んでたの?」

及川「同じサッカーチームのYくんです!」

先生「そうか…。あいつらとは関わるなよ」

及川「…え?

 

言葉を失ったまま教室に到着。

その数時間後に気づいたんですけど、そこの学級は担任と生徒で対立していたんです。
Yくんは学級男子の中心的な生徒の一人で、そこそこやんちゃだったんですね(笑)

その日の放課後まで悩みました。

 

担任の言いつけを守るか、Yくんとつるんで遊ぶか…

 

答えは一択。

 

チームメイトのYくんをとる

 

転校2日目から担任と戦いの日々が始まり、卒業まで続きました…(笑)

 

 

及川 少年編(完)

 

――――― おわりに(おわらないけど) ―――――

今回の記事は及川少年の小学生までをざっくり、転校の日々を中心に振り返りました。
書きながら、本当に転校ばっかりで、幼い頭と心で必死に生きていたな~としみじみです。

次は及川少年 中学生編からお届けいたします!

 

中学時代の及川少年は、なかなかのこじらせ男子だったかもしれません。
思春期に突入することもあり、ここまでは一切でてくることのなかった恋の話はでてくるのか⁉こないのか⁉

 

乞うご期待!

次回「彼女って何?サッカーしてたらできるの?」

CONTACT

お問い合わせ

無料相談・資料請求はこちらからお気軽にどうぞ